This is a penis.

東京ツェルニーラソド

バイエル13番

バイエル13番です。

例えばdx/dyのようにどんどん小さく考えていって
カオス化して、膨大な計算に途方にくれたり(微分幾何学)
挙句の果てには量子力学的に確率でしか
考えられなくなったり、(量子力学)
反対にトポロジーのようにざっくり
宇宙の形を8パターンにしてみたり、(位相幾何学)
大統一理論で行き詰ったりするよりは(相対性理論)

もっとフレキシブルに複雑化して真理に近づけないか
という問題である。
そこでノヴァカ的には
素直に置換する幾何学
オネストマッピングロジー
略して オマグロジー
を提唱する。

どういうことかというと
例えば1+1と言われれば
大概2と答えるであろうが
まだ足し算を知らない人はわからないだろう
あるいは足し算を知っていても普通に
間違えて、2とか3とか
答える人がいるかもしれない
あるいは10進法とは限らないから
解なしとか わからないと
答える人がいるかもしれない。
そもそも1+1=2ですよと教えて
全員が同じ意見を共有することは
その方が不自然で、
1+1=2と考えるのではないく
(1+1)N(x)=Z()
と考えるのが自然ではないかということである。

どういうことかというと
1+1 という問題(原因)に対して
N(x)変換する( 読み方:ノヴァカ変換)
それによりえられたZ()は現実のすべての事象が解となる。
z()は解というより現実である。

量子力学や相対性理論のように
マクロ化やミクロ化すると結局壁に突き当たることになり
理論から検証が困難になっている。
これをなんとかするには
実際に起こっている原因から不変真理と仮定する。
ノヴァカ変換の結果は実際に現実に
起こっていることであるから
間違えるということがありえない

つづくかもしれない





バイエル12番

一応ピアノは練習しています。
で通常動画を貼って文章添付しないと
ただの変態だと思われてしまうので
そうしてきましたが、
だんだんそう思われてもいいや
という感じで楽な方に流れています。

そう、変態で思い出したのですが
今日はセンター試験ですね
 明日数学が新聞にでも載ると思うので
毎年恒例で解いてみようと思う。
2年前のセンター数2は0点でした(笑)
基礎的なものができないのに
数論もトポロジーもないと思われても
仕方ない。
(ここからはペテン的言い訳)
だがしかし!
稀代の天才たちは成績が優秀だっただろうか?
いや、そんなことはない。
むしろ試験は悪い方だった。
天才と評されるのはノヴァカ的に言うと
視点の違いですね。
チョコレートを見て
甘い、おいしい、癒される・・・・
ととるか
C<nH<2nO・・・ 融点45.3°、有抗菌性・・・
ととるか
前者を語っておけば日本では間違いないが
人類を語るときは後者が光る。
大体、子供たちがネバーランドで夢見るように
男性もオマンコランドで夢見ているんだ。
テストの他人の評価なんてどうでもよい!

あれ、素数について語るの忘れた。


バイエル11番

ノヴァカは男性ですが、生まれてから
一度もモテたことがありません。
それがなぜなのかいまだに分からないのです。
ノヴァカの顔は吉川晃司と東幹久とガクトを足して
5で割ったような感じです。
なぜ、モテない話をしているのかというと、
素数の話をしたいからです。

男性ならわかると思うのですが、
男性は女性のマンコがみたいわけです。
小学生の時、マンコがみたくて
ノヴァカなりに男性の魅力を
女性にアピールするため、
算数や数学やピアノに力を入れたのですね。
ところが、一向にモテる気配がなく、
むしろ運動が得意な子に
バレンタインチョコレートが集中するわけです。

中学になっても一向にモテることなく、
だがしかし、マンコがみたくて
あきらめきれないノヴァカは
禁断の素数に手を出すわけです。
話がそれますがモテないノヴァカは
結婚相手派遣事務所から
派遣された方と契約結婚をしていて
そこの事務所の所長さんに
素数だけは手を出してはいけない
と間接的に言われたことがあります。

話を戻してピアノに素数が関連することが
わかります。
         つづくかもしれない

バイエル10番

バイエル10番です。

前回の記事を丸写ししたような記事が他所様ででていました。
まぁ、どうでもよい。

まぁあれですね。
6÷2<1+3)
について語ります。
内容はフェルマーの最終定理より簡単ですが、
数学科のやつでも間違えている人がいるので記述しておkます。

バイエル9番

バイエル9番です

先日、ある小学校で1.9+8.1=10.0と書いたら
×になったということで、これについて議論します。

まず、この小学校教師の見解ですが、
解答について10、0のときは10と書くように
指導していた。

ある脳科学者はこれについて、
虐待であると述べた。

文部科学省は。場の教師の見解を尊重。
特にどうするべきとの要領自体がない。

さて ノヴァカの見解。
まず、数学的に
1.9+8.1
これは10とは限らない。
もっと正確に言うと
10進法なら10だが
2進法なら1111だ。
もしくは数学的公理を変化させると
0や1にすることも可能。
しかし、これは数学の話で
算数の世界では
教育という側面と
数をとらえるという側面が
ある。
つまり数をとらえて
生徒にその性質を伝えなければならない。
ということは数のとらえ方
性質の伝え方は教師の数だけある
ということになる。
そもそも算数というものは
数学的公理は破城した状態にあり、
(というより数学的な公理を理解して
算数を教えている先生は少ない)
教室の先生が発した言葉が
公理になると考える。
先生の思考が公理である以上
教室内での先生の発言が絶対となる。
ここで、その絶対の規則に対して
それを守った生徒と
守らない生徒がいたとする。
外部で守らない生徒に対し
それは間違っていない!正解だ!ということが、
通るならば、
先生の言うことを守った生徒の評価どうなるのだろうか?
これこそがまさにあってはならないことなのである。

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